概要=仁王門・多宝塔は県指定重要文化財
操山の北西麓にある。操山の古名は瓶井山であり、寺院境内の山腹に瓶井(みかい)と言う泉が湧いていることに由来する。寺伝によれば奈良時代の天平勝宝年間(749年 – 747年)に報恩大師が禅光寺を創建したたと言われ、備前四十八ヶ寺の一つに数えられたと伝えられる。安住院は禅光寺の本坊である。報恩大師が平井の浜(現・岡山市中区平井)で光を放つ霊木を見つけ、千手観音を刻み本尊としたと言われる。本尊を刻んだ際、報恩大師は「修禅光明滅無明安住浄菩提心」と言ったといい、これが寺号・院号の由来となったと伝えられている。 平安時代の延喜7年(907年)醍醐寺開祖の聖宝が第一期の中興をなしたと言われる。室町時代前期の応永2年(1395年)増吽により中興がなされたが、文明10年(1478年)仁王門以外を火災で焼失した。 江戸時代初期の慶長6年(1601年)初代岡山藩主となった小早川秀秋により本堂など堂宇が再建された。江戸時代には岡山藩主池田家の庇護の元、本坊安住院のほか普門院・中蔵院・堯王院・蓮華院・理證院・法明院・閑安院・歓喜院・万徳院・伝経院・金蔵院・明寿院などの塔頭が存在した。現在は安住院のほか、普門院・中蔵院を残すのみとなっており、中蔵院は名称のみが残る。内田百間の菩提寺で、墓地には内田百間と累代の墓所がある。
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所在地 | 岡山市中区国富3-1-29 |
URL | http://www.anjuin.com |
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